【倉吉絣(くらよしかすり)】。
倉吉絣保存会の設立に深く関わった染織家・福井貞子氏の作品です。
【色・柄】
黒と見紛うほどに深い濃紺色を地色として、経糸(たていと)に絣を施し、青と白を使い分けて
変り縞模様が織り成されました。
薄手の綿は糸が細く上質な証拠。
強度は残しながら、心地よく着れるように工夫された織。
手仕事のぬくもり、生活にねざしたあたたかみ、装う人々の笑いさざめきに人いきれ。
絵をそのまま織り込んだ様な複雑な模様―
250年以上前に鳥取県に伝えられた絣織に端を発し、現在でもその織の技術が伝えられるもの…
【福井貞子氏について】
染織家。絣研究家。絣蒐集家。
鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)生まれ。
昭和27年(1952年)に結婚後、大姑から倉吉絣の手解きを受け、地元の織り手であった女性たちから聞き書きし記録しました。
日本女子大学(通信学部)家政学科を卒業し倉吉北高等学校教諭となり、校内併設の絣研究室の主事に就任。
倉吉絣保存会の設立に参画した後、会長(後に顧問)として、絣復興や後進の指導に尽力しました。
在職中から『木綿口伝』等の優れた著書を発表し、退職後も絣研究・蒐集、後継者育成、展示や体験を通じた国際交流をするとともに、絣制作に励み、作品は伝統工芸の分野で多数の受賞歴があります。(作家名:福井禎)
【倉吉絣について】
江戸時代から木綿が特産品として生産され、全国の商人が往来していた倉吉。
そんな倉吉で約200年前に…
稲嶋大助という人物が花鳥山水の絵絣を織り普及させたといわれております。
絵絣とはすなわち、あらかじめ染め分けた絣糸を使用し絵画的なお柄を織り上げたもの。
倉吉の絵絣は、その柄の巧みさで各地でもてはやされ稲扱千刃の行商人によって高価に販売されておりました。
その後、明治になって盛んに織られるようになり、倉吉地方の各家庭では自宅で使う木綿の着尺や布団生地はどれも家の女手で織られ、呉服屋で買うということはなかったようです。
倉吉の娘は皆、機(はた)を習い、自分で糸を紡ぎ、その糸を紺屋へ持っていって染めてもらい、自分で織る。
機を織れて一人前…
そのため器用な者が多く、縞が織れるのはあたりまえで、器用な者は平織りの絣とは違った織物である「そしき織」や「風通織」、絵絣と、より複雑な織を極めるようになります。
松、竹、梅、鶴、亀、大黒や、
様々な自然物、器具、字など…
美術的で精巧な絵絣の数々。
しかし、大正時代に入るとその高度な技術故に機械化もできず衰退の一途をたどりました。
戦後、すでに織り方もわからなくなっていた風通織を染織家・吉田たすく氏が苦心の末復活され、絣研究家の福井貞子氏が「倉吉絣保存会」を設立し現在までその技術が継承されております。
■藍止め加工をおすすめしております。
※藍はその特質上、摩擦や湿気による色落ちが生じやすくなっております。
藍止め加工をいたしましても、藍が落ち着くまでに汗や摩擦で色が移る場合がございますのでその点ご留意くださいませ。
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